「私達は入所者の尊厳を重んじ皆様が安心して療養生活のできる環境の提供に努めます。これは、北陸東海唯一のハンセン病施設である国立駿河療養所の理念です。この理念に続いて「入所者の皆様の人格を尊重します」「安全で快適な生活ができるようつとめます」「安心して受けることのできる医療を提供するようつとめます」「ハンセン病の正しい知識をひろめ地域住民との生活の一体化をめざします」―の4つの基本方針を掲げています。

平成13年の熊本訴訟判決で世間に広く知られることになったハンセン病。ハンセン病の後遺症に苦しむ入所者が、施設でどのように生活されておられるのでしょうか。地域との交流の現状はどうなっているのでしょうか。広大な敷地にあって、入所者が減少する中、施設の新たな在り方を模索しています。また、正しい理解に基づいた地域との開かれた交流を始めつつあります。国立駿河療養所は、いま、大きな転換期を迎えているようです。同療養所の吉田敏雄事務長と、入所者でつくる自治会組織・駿河会の小鹿美佐雄会長にお話を伺いました。

(聞き手は、静岡県建設業協会総務・広報委員会の林則夫委員)

ハンセン病への正しい理解を

親や兄弟姉妹と一緒に暮らすことができない―。
    実名を名乗ることができない―。
    結婚しても子供を生むことが許されない―。
    一生療養所から出て暮らすことが許されない―。
    死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない―。

    こうした生活をハンセン病元患者さんは
長い間強いられてきました。あなたは想像できますか?

 皆さんと同じ人間なのに、こんなあたりまえのことができない人たちがいます。
     “ハンセン病”という病気の人たちです。
誤った国の政策などによって、長い間多くの偏見と差別に苦しんできました。
     今まで間違えて伝えられてきた病気、
    そしてその実態が、ようやく正しく伝えられるようになりました。
 皆さんにできること―それは、ハンセン病について、正しい知識と理解を持つこと。
    これが差別や偏見をなくす第一歩なのです。
  
厚生労働省発行中学生向けパンフレット「わたしたちにできること」から抜粋


創設は昭和19年、翌年旧厚生省に移管

委員―国立駿河療養所の概要を教えてください。


吉田事務長御殿場市の南端、箱根外輪山の中腹に位置し、海抜約500メートルで敷地は傾斜地になっています。富士山に見守られ、駿河湾が望める閑静な地。三島駅から約15キロ、車で約40分程度、JR御殿場線岩波駅から3.5キロで、車で約5分程度です。療養所出入りは専用道路1本(1.7キロの山道)しかなく、もし災害が起きた時、陸の孤島になる恐れがあります。これは課題の一つです。

本療養所はハンセン病施設で、全国に13カ所ある中で一番新しい施設です。昭和19年12月に傷痍軍人のための施設として創設され、20年6月に1名入所しました。20年12月に旧厚生省に移管されて国立駿河療養所として発足しました。

「事務本館」
▲事務本館
平成7年建設。3階の治療棟は、内科・外科・基本科・耳鼻科・眼科・リハビリ室・鍼治
療室・その他いくつかの外来を設けている。

社会復帰に残る課題

委員―療養所の現状はいかがですか。


吉田事務長医療法では病床が267床、入院定床は94床、年々減っているのが現状です。

ハンセン病療養所としては東海北陸地区唯一のものであり、今までに入所者は延べ1312名を数えています。昭和31年に471名が入所、この時がピークで、その後しだいに減少し、ことし8月1日現在で77名、平均年齢が81.4歳、最高齢は102歳、若い方で62歳の方がいらっしゃいます。そのうち65歳以上が74名、96.1%を占めています。全盲の方は約20名、半盲の方は16名いらっしゃいます。

出身地は全国にまたがります。東海地区で半数を占め、外国人の方もいらっしゃいます。

平成8年「らい予防法」の廃止と平成13年の熊本訴訟「違憲国家賠償訴訟」の勝訴により、法律的に自由となり、名誉回復と生活権の補償獲得、世間の目も変化しましたが、今も一般社会における差別・偏見は否めない。また、ハンセン病後遺症、高齢化、高齢者病により社会復帰するには課題も残っています。

常勤医定員6名のところ、医師は3名、うち1名は歯科医師、それではなかなか、施設の運営ができないので、医師不足を補うため、静岡医療センターや順天堂大学静岡病院等外部から応援に来ていただいています。医療については現状維持またはそれ以上を目指しています。

吉田俊雄事務長
▲吉田敏雄事務長

地域と広がるつながり

委員―地域との交流はどのように図っていますか。


吉田事務長春には園を開放し、地域の皆様に桜見物に来ていただいています。また、入所者の方が主催している7月のカラオケ大会は盛況でした。8月の納涼祭は職員で運営し、盆踊りや阿波踊り2団体の皆さんの踊り、一色太鼓保存会の皆さんによる太鼓など賑やかに行われました。また、自治会が3000発の花火を打ち上げました。400名くらいの地域の方々がいらっしゃっています。また、10月には中国笛の演奏や落語も行われ、地域住民の皆様と“つながり”を持っています。

講堂<br />平成18年建設。儀式・演芸などを催す公民館的な場所として使用され、カラオケ大会やボランティアによる各種コンサート等も盛んに行われている。
▲講堂
平成18年建設。儀式・演芸などを催す公民館的な場所として使用され、カラオケ大会や
ボランティアによる各種コンサート等も盛んに行われている。

建物集約化で入所者の負担軽減へ

委員―将来的にどのような施設にしていくのでしょうか。


吉田事務長施設内には、一般舎という戸建てが点在しているため、新第5センター施設に集約化するように8室分のⅠ期工事が完成しました。これから12室分のⅡ期工事に取り掛かります。

建物の集約化を図り、少しでも入所者の方々の負担を減らすようにする構想を進めていきたいと考えています。

第2センター<br />入所者が生活している代表的な施設の一つ
▲第2センター
入所者が生活している代表的な施設の一つ

国は一層のバックアップを

委員―今の日本社会に何か一言ございますか。


吉田事務長 地域の方の理解はもちろん必要です。同時に、入所している方々ももっと心を開くことができればと思います。また、国の施策で隔離したわけですから、もっと国がバックアップすべきだと思います。社会は受け入れる体制になっていると思います。マスコミも訴訟判決以降、大々的に取り上げていません。ハンセン病は治っている病気です。日本で発病する人は皆無に等しいです。入所者の方は視力障害、四肢の障害の後遺症で苦しんでいます。私も含めてですが、皆さんがもっともっとハンセン病を正しく理解しなければならないのです。

納骨堂<br />昭和63年落慶。沢向う地区(現・さくら公園付近)にあった旧納骨堂から、富士を眺望できるこの台地に建設。ここには、平成19年に納骨された胎児の遺骨も含め、故郷に帰ることができない遺骨(分骨も含む)298体(平成24年11月1日現在)が納められている。
▲納骨堂
昭和63年落慶。沢向う地区(現・さくら公園付近)にあった旧納骨堂から、富士を眺望
できるこの台地に建設。ここには、平成19年に納骨された胎児の遺骨も含め、故郷に帰る
ことができない遺骨(分骨も含む)298体(平成24年11月1日現在)が納められている。
▲吉田事務長にインタビューする林委員

ハンセン病と国の政策

ハンセン病の隔離政策

我が国のハンセン病政策の根幹をなす法律は、1970年(明治40年)法律第11号「癩予防ニ関スル件」として制定されました。その後、全国国立癩療養所患者協議会(昭和28年に全国国立ハンセン氏病療養所患者協議会と改称)の法律改正人権回復運動の結果、1953年(昭和28年)「らい予防法」に改正されましたが、その立法精神は終生隔離撲滅主義を基調としたものでした。

その後、人権の尊重と民主主義を掲げた憲法の理念のもとで、1995年(平成7年)に「らい予防法の見直し検討会」の報告を経て、1996年(平成8年)3月約90年続いた「らい予防法」が廃止され、同年4月1日から「らい予防法の廃止に関する法律」が施行されました。なお、入所者の処遇等については、従来と変わりなくおこなうこととなっています。

「らい予防法」が廃止されるまでの長い間、国は患者や元患者に対して隔離政策をとってきました。この隔離政策は、多くの人々に、ハンセン病は強い伝染病であるという過度の恐怖心を抱かせ、偏見が助長され、患者や元患者は、さまざまな差別的扱いを受けてきましたが「らい予防法」の廃止により、入所者の人権は回復され、2001年(平成13年)5月11日、熊本地方裁判所は「ハンセン病は遅くとも1960年(昭和35年)以降には隔離の必要性はなく、隔離政策を続けてきたことは憲法違反していた」として国の責任を認めました。

国立駿河療養所パンフレットから抜粋

 ☆  ☆  ☆  

ここからは、小鹿駿河会長のお話になります。


少ない医師数

委員―吉田事務長への質問と重なりそうですが、療養所の現状について教えてください。


小鹿会長現状では所内に常駐している医師が3人しかいません。定員は6人だが。医師の数が危機的なときもありました。何とかやってもらっています。外部から応援に来てもらい、皮膚科や泌尿器科等の対応をしています。しかし、療養所といいながら不十分です。

全国13カ所の療養所のうち、6カ所で副所長の医師がいない深刻な現状を抱えています。駿河でも介護関係の医療従事者が足りません。入所者が高齢になることで、それに伴う障害が発生するので、重複障害になります。手を掛けていかないと生活できなくなってきています。国会議員の超党派で懇談会があり、いろんな形で運動してもらっていますが、諸問題を解決していけるか心配です。私たちは駿河で最後まで生きたい。

駿河会は入所者の自治会で、自分たちのことを個々に意見してもだめだということで昭和23年に発足したと聞いています。自治会の維持についても高齢化で、役員のなり手等が難しくなっています。私は70歳で若手の中に入ります。

小鹿美佐雄会長
▲小鹿美佐雄会長

偏見と差別の歴史

委員―療養所の成り立ちについてご説明ください。


小鹿会長施設はやがて軍人以外でも人が集まったことで療養所が廃所にならずに済みました。当時は療養所としての形が十分でなく、この広いところに水道は1カ所しかないとか、風呂はなく、ドラム缶で沸かして入ったとか。施設の工事は朝鮮からの強制労働等で行われたが、食糧難、材料不足で大変だったと聞いています。この辺は山芋がたくさん取れますが、当時は掘れるだけの体力がなかったから大変だったらしいです。

ハンセン病については当時の人々には正しい知識はなく、差別・偏見がありました。商品を買いに店に顔を出すと、「その商品は予約されている」とか言われて売ってもらえないこともあったといいます。戦争中に国が入所者の土地や家などの財産を買い上げていますが、それは取り上げられたも同様でした。

戦後、無らい県運動が起こり、強制的に療養所に入ることを勧告されました。トラックに乗せられ、そのまま施設に入れられました。その人が使っていたものは消毒、焼却もされました。怖い病気だと国の施策で患者を収容しました。私は小学3年で入りましたが、列車は一般の人と隔離された特別車両でした。間違ったことが行われ、偏見と差別を生んでいったのです。

分室
▲分室
自治会組織の駿河会が事務所として使っている

地域と共生の場へ

委員―今後の在り方について、どのようにお考えでしょうか。


小鹿会長地域と共生できる場を作っていきたいと考えています。2キロの坂道が地域との日常的なつながりを遠くしています。行事の際には呼び掛けもし、来所者も多数あります。しかし頻繁ではありません。一般の人を受け入れる病院体制でもないのも影響しています。建物の集約化による跡地の有効利用が図られればいいのではないでしょうか。公共施設や保育園を作った施設もあります。養護老人ホームの建設など将来構想を考える会で検討していきたい。

小鹿会長にお話しを伺う
▲小鹿会長にお話しを伺う

正しい知識を身に付けて

委員―社会に向けて一言、何かございますか


小鹿会長ハンセン病の後遺症に苦しんでいる現状を一般の人はまだまだ知らない。もっとも政府が隠してきたことだから知らないのは当然です。現在では民生委員や人権擁護の方がいらっしゃいますが、その他の来所者は少ないです。

東日本大震災で被災した福島の人は放射能被爆で差別や風評被害が起きました。ハンセン病も昔にこれと同じようなことが起きてしまいました。皆さんがハンセン病に真摯(しんし)に目を向けて、努力して正しい知識を身に付けることが大切です。

―今回、取材の機会をいただきありがとうございます。私たち自らハンセン病の正しい知識を広めたいと思います。

ハンセン病を正しく理解しましょう

ハンセン病とは

ハンセン病は、遺伝病ではなく、伝染力の弱い病原菌による慢性の感染症です。結核と同じ抗酸菌と言われる細菌の一種で、1873年(明治6年)にアルマウェル・ハンセン氏によって発見されました。

皮膚や末梢神経を侵し知覚麻痺をおこすことが特徴で、感染力は結核菌より弱く、結核同様早期に診断され早期に治療できれば、決して恐ろしい病気ではありません。

ハンセン病は、伝染力の弱い病原菌による感染症ですから、免疫系の働きが十分でない幼児期に未治療の発病者と長期間接触すれば発病の可能性はありますが、成人ではその可能性が極めて少ないと言われています。

入所者は後遺症であっても治癒しており、日常生活の中では接触してもハンセン病に感染する可能性はありません。

ハンセン病は治る病気です

ハンセン病は、その症状が人目につきやすい皮膚に出現し、顔や手足を変形させたり、病が進むと体の表面近くの細い神経繊維が破壊されてしまします。

神経は破壊が進みすぎると完全には再生しません、したがって、一部の神経はその働きを永久に失ってしまいます。

治療により体の中の病原菌がなくなっても、この失われた働きは元に戻りません。これらの後遺症による障害のために、長い間「ハンセン病は治らない病気だ」「いつまでも体内に菌を宿している」と誤解され、恐れられていたために、患者はもとよりその家族までが社会の偏見と差別に苦しめられてきました。

ハンセン病は治る病気です。障害が重くなる前に治療すれば後遺症も残りません。

国立駿河療養所パンフレットより抜粋


◆駿河療養所の概要と主な施設◆

当療養所は東海北陸地区唯一の国立ハンセン病療養所として67年の歴史を有す。創立時の職員・入所者の辛苦は筆舌に尽くし難いものがあったという。当所の入所者数は開所以来延べ1312名を数え、昭和31年の471名を頂点に以後漸減し、平成24年8月1日現在77名の入所となっている。

ハンセン病療養所としてハンセン病そのものの治療(紹介による外来者)、ハンセン病に起因する2次的障害並びに合併症の診療等本来の役割を果たすとともに、高齢重複障害者医療施設として生活介護の重要性は一層高まっている。

  • 病床数 医療法:267床(一般)
  • 入院定床:94床
  • 敷地 37万0704m2(約11万坪)
  • 建物 2万31112(建物延べ面積:平成21年4月1日現在)
  • 職員数 158名(定数)
  • 組織 所長、副所長、診療部門、看護部門、事務部門
  • 所在地 〒412-8512
    静岡県御殿場市神山1915 電話0550(87)1711

【ホームページ】http://www.hosp.go.jp/~suruga2/

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