▲静かな山里に突如現れる巨石

◆山里に突如登場する巨石にびっくり


▲「こんなに大きい!」

 静岡県人の多くが8月 11 日の地震に驚きました。今回の地震では駿府城址の石垣が崩れました。けれども、大きな被害に至らず、胸をなでおろしたばかりですが、今から約150年前、安政の大地震で興津川の上流に現れたのが、「河内(こうち)の大石」です。

 晩夏の光が美しい一日、大石を訪れました。一山越えると、竹の子とお茶の里、 静岡市 清水区河内。人家の続く細道、古い小橋をわたって右に曲がると、突如、大石が現れました。

 一見、山の崖の一角が露出しているようにも見えますが、一個の石なのです。高さ19メートル、周囲60メートル。とにかくその大きさに驚きます。

 周りを一周して遠くから眺め、大きさを確かめます。近づいて表面に手に触れたり、地面と石のすき間に入り込んでみたりします。

 靴さえ良ければ上に乗れもします(隣家のおばさんから「危ないからやめときな」と注意を受けましたので、上りませんでした)。石の中腹に夏草を置き、表面はほどよい風情で苔むしていて、大きさへの驚きから、なぜか親しみがわいてきます。

◆地震と豪雨が連れてきた安産の神?

 さて、どうしてこんなところに、こんな穏やかな山里に大きな石があるのでしょうか。

  大石の前には、地元の小学校の校長先生だった方(と聞きました)が書かれた「日本一安産石由来記」の石碑が立っています。ここでは『両 河内村 史』の中にある文章をご紹介します。

 「時は安政元年霜月二十八日正午頃突如として起こった所謂安政の大地震は真富士連山を震撼し岩石をとばし樹木を倒し山容は一変するに至った。明けて翌年の旧七月二十六日正午頃より豪雨沛然として至り雨勢は刻々劇甚寸時も衰えることなく夜半に及び昨冬地震にて崩れ落ちた。土砂岩石は雨水の為泥濘と化し、沢くぼを押し出して緩々巨石を包みて下方に移動流出なしこゝに止まった。」

 地震と豪雨によって大石が現れたことがわかりました。引用が長くなりますが、もうちょっとだけ続けます。


▲石のそばには「大石神社」安産の神様です

 「泥濘は流れて川を埋め人家を流した。夜は明けて空は一転の雲もなく晴れたれども人家の流出、人命の行方不明死、其の類多く人々は皆果然として驚き、親は子を呼び子は親を求めんと愁々の声止むところがなかった。」


▲大石の表面はコケがむしていたり、風化し
  ていたりする

 いかにものすごい自然災害だったかが、よく想像されます。

 そのような惨禍をもたらした災害の置き土産である大石にもかかわらず、地元の人々はこの石に「高御産巣日神(たかむずびのかみ)」と「神産巣日神(かみむすびのかみ」)を祭り、毎年七月二十六日にお祭りを行っているのです。

 大石の傍らには安産祈願で人々が訪れる「大石神社」があります。

 大石が川を流れてきたのを、狭い産道を通ってこの世に生まれ出たと見立てて「安産石」とも呼ばれているそうです。

 オーストラリアのエアーズロックという巨石は有名ですが、この河内の大石はもっと人に身近な存在として、日本人の自然とのかかわり方、人間と自然災害の歴史を考えさせてくれるように思われます。


▲「よっし、来た。受け止めてやったぞ!」

◆やすらぎの森はアウトドアライフのメッカ


▲清水森林公園はアウトドアライフを満喫できる

 「河内の大石」に別れを告げて、杉尾山の南側の清水森林公園「やすらぎの森」にも足を運びました。興津川の支流、黒川に沿ってアウトドライフを満喫できるよう、キャンプ場などの施設が整備されています。シーズン中の土日はテントが村をつくります。

 きょうは平日でしたが、夏休みの最後レジャーと、家族連れで遊びにきている人々がたくさんいました。せせらぎでは水遊びする子どもたちが歓声を上げていました。

 ここの黒川キャンプ場は、大自然への挑戦、家族の大切さを学ぼうという人たちが集まる全国的なアウトドア活動「地球元気村」の舞台にもなっています。

 元気村村長、冒険家の風間深志さんが呼び掛けて始まった活動ということで、毎年4月、 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド で有名な宇崎竜童さんらが訪れてミニコンサートを行なってます。

 みなさん、「河内の大石」は必見です。

 やすらぎの森で心と体を癒し、リフレッシュしましょう。お待ちしています。


▲美しい竹林は地球元気村のミニコンサート
  の会場にもなる


http://www.city.shizuoka.jp/deps/norin/soumu/yasuragi/acsess.html

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